山岡 健人|Kento Yamaoka

アドリブワークス 創業者

2017年(31歳)地元の同僚や同期の大半が、会社や世の中に愚痴や不満を垂れている光景への強い違和感がきっかけとなり、地方であっても自分のやりがいを感じられる内容で起業を実現し、自分らしくあれる環境整備を行うべく、アドリブワークスを創業。

わんぱく無邪気な神童時代(0歳~15歳)

1986年、2人姉弟の末っ子として日本・愛媛に生まれる。両親からは大事に育てられ、何不自由ない幼少期を送る。日頃から家族を笑顔にするひょうきんものであった。

小学校では、野球やゲームなどで友達と楽しくわんぱくな日々を過ごし、

中学校では、バスケ部に入部。初めての彼女ができ、色づき始めたそんな青春時代が幕を開ける。とくに何かに努力するということもなかったが、勉強では常に好成績、スポーツではなんでもこなせる万能タイプ。何をしてもなんなくこなせた。

ただ、周りに偉ぶることは特になく、親に喜んでもらえることが嬉しかったという。そんな自分を「稀にみる神童とはこのことか…」と思っていた(後に高校入学とともに、その幻想は脆くも崩れ去る)。

順風満帆かと思いきや…(16歳~17歳)

中学卒業後、当時、愛媛県今治市で一番の進学校とされていた今治西高校に進学。

入学5日で好意を持ってくれた女子とお付き合いを開始するも速攻、振られ、その結果、、学年中の女子全員から嫌われるという非業の高校生活をスタートする。加えて、思春期とともにひょうきんな明るさを失い、根暗であまり多くを語らない性格へと変化。また学業の面でも、一気に周囲の学力が上がり、気づけば下から数えた方が早い学内成績をたたき出してしまう。

そんな人間関係や学業などが苦しい時期も、仲良くしてくれた友達・先輩のおかげでなんとか乗り越える。

まさかの自分が○○に!!(17歳~18歳)

高校二年の時に、成り行きで生徒会長になり、高校生活は激変。激務の生徒会長職では、特に新鮮味のない日々にも関わらず毎週1000人の前で話すという全校集会の試練に耐える。。しかしそこで人前で話すことや、人を動かすことを知り、学び、興味を持つ。

新たな土地で新たな気分(19歳~20歳)

高校卒業後は早稲田大学の文学部に進学。愛媛の地方から大都会・東京にでて、人生の価値観が変わるかのように、”楽しさ”と”堕落”に振り切った大学4年間が幕を開ける。

学業に関しては、あまり難易度が高くなく、ずっと読書感想文を書いているような感覚に駆られる。そこに面白味はなく、単位のために授業に出席するも、教授の話を子守唄に眠りにつく毎日。バイトなどに精を出すわけでもなく、一晩中、友達と遊んだり、だらだらしたり。そんな学生生活の中で、唯一、マスメディア系のサークル「放送研究会」という大型のサークル活動に腰を下ろし、活発に色々な経験をし、期間代表なども務め、今に繋がる友達もできることとなる。

長くて苦しく悩める1年間(21歳~22歳)

就職活動も無事に終え、東京での社会生活かという時に、人生の分岐点とも言える長い苦悩の1年間が到来する。。家族を大切にしたい思いと、自分はまだ何者でもないもどかしさの間で、「地元に戻る」&「東京に残る」の選択に悩まされることに。どこにも解決策が見つからない平行線の中で、実際に大学卒業までの期間で、愛媛での就活も開始することとなる。

東京でひと通りしっかり就活した後に始まる、愛媛の就活。ということで、内定連発の無双状態となる。一時期は、愛媛での就職に腹を括るも、まだ知らない世界が無限に広がるこの世の中で、自分がよく知る世界(地元)に戻る絶望感と、当時、テレビのドキュメンタリー番組で特集されていた東京での就活苦学生への申し訳なさも感じ、愛媛への帰郷を決断できないとともにとことん落ち込むこととなる。それを見かねた親が最終的に背中を押し、「30歳までに起業する」という、我が道を行くことを決意する。

起業に向けた着実な日々(23歳~)

IT業界の営業、コンサルなど様々な部門を2、3年置きに転々とし、後の独立に必要なスキルを蓄えていった。また色んな起業家や経営者に話を聞きまくっていた時期もあり、その中で、色んな意見はあるけれども、結局、動いてみないと何も分からないということを痛感する。

そうこうしているうちに、30歳を迎え、ひとまず会社を辞め、フリーランスとして過ごす。その期間に起業するタネを探す。

30歳前後にして、起業のタネを探している中で、地元の同期や同僚に話を聞いていると、身の回りの人がみんながみんな、世の中や会社に愚痴を垂れる光景を目の当たりにし、この光景は異常であると感じる。その中で自分の好きなことを仕事にするという意味も含めて、地方で起業することの可能性を創出したく、環境整備に従事する起業をしようと決意。

まずは実績づくりも兼ねて地元に戻り、地域に根付いたプロジェクトをいくつか起ち上げ、地方で立ち上げるプロジェクトでも十分な成功に導けることを実感し、ノウハウを体得。その後、満を持して、アドリブワークスを創業するに至る。

ぷちコラム

高校の時、生徒会長と仲良く、その友達が全校生徒の前で、「来年の生徒会長はこいつで決まりだ」と一声。その翌年、本当に生徒会長になってしまった。

そんな生徒会長として臨んだ球技大会では、忙しさの余り、何も話す準備が出来ていない状態で、閉会の挨拶を迎え、大コケ。その後の学生アンケートで冗談半分とは言え、散々な言われようをし、結構なトラウマとなるも、そこから、事前準備の大切さを心に刻んだ。

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